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2004年1月〜6月の「ひとりごと」より・・・ちょっとその一部を♪
  2004年6月29日(火)
  ラジオで聞いた話シリーズ。
 今日は、何か妙に忙しかったです。お昼も時間差で食べて、しかも殆ど休みなしで次の仕事と・・・更に夜、帰宅してパソコンで仕事の資料作成など・・・。でも、何となく充実した日であったという感もあります。日中、美唄市・三笠市などにも行っていたので、少し、車を運転している時間、ラジオを聞いて気分転換にもなりましたね。でラジオで聞いた話し・・・

 さて、今日は・・・「"星の王子さま"の日」との事です。何でも作者のサン=テグジュペリの生まれた日(1900年6月29日)にちなんでという事のようですね。童話"星の王子さま"って知ってますよね?詳しい内容はさておき、何となくとか、タイトルだけとか、それなら聞いた事があるという人はいると思います。いつだったか忘れましたが、テレビのアニメでもやってました。作者のサン=テグジュペリ、飛行機乗りの郵便屋さんだったんですね・・・で、第二次世界大戦中に、飛行機に乗って地中海だったかで消息を絶ったとか・・・それに関しては色々と謎めいた説もあるような話も前に聞いた事があります。ちなみにこのご時世、あまり童話とか読まれなくなって来ているのでようしょうね(T_T) ワタクシが、子供の頃にテレビでやっていた「世界名作劇場(フランダースの犬、家なき子、母を訪ねて三千里、小公女セーラ・・・etc)」、「日本むかしばなし(坊や〜♪良い子だ、寝んねしな〜♪・・・"昔々、ある里にじいさんとばあさんがおったそうだ"「あっれー、じぃ〜さん・・・」「なんじゃ〜、ばぁ〜さん・・・」みたいフレーズでお馴染みでしたよね)」、その他「世界偉人物語」など、アニメにしながら心豊かになるようなテレビ番組って、今、少ないでしょ・・・残念ですね。

 それと今日は、1966年だったかにビートルズが初来日した日だったようですね。大分前にテレビだったか何かで「もし、モーツァルトが現代に生まれていたら・・・もしかしたら、ビートルズのような曲(ジョン・レノンのような曲?)を作っていたかもしれない・・・」と言っていた人がおりましたが・・・どうでしょうかねぇ?ワタクシ的には???ですが・・・。まぁ〜、意見はひとそれぞれですし、想像するのは個人の自由ですから、ネッ(o^v^o)

 次に今日ラジオで聞いて、為になった話?「焼酎って身体に良い.って、よく言われてますが、いったいどのように良いのか?」という話・・・なんでも血栓溶解度が、ワインの倍以上だったかあるようで、血液がサラサラになるような事を言ってましたね。血液がサラサラになる=血行がよくなる、結果、心筋梗塞だったか脳梗塞だったか、病気にも良いとか言ってましたね・・・詳しい話は忘れましたが・・・あっ、一応、言っておきますが、ワタクシが研究した成果でなくて、ラジオの話題ですから、事実かどうかは知りませんよ。それにだからと言って飲みすぎはどっちにしても良くないと思います。何が、効果になってるかとういうと"匂い"らしいので、飲まなくても匂いをかいでいるだけでも良いとか、言ってましたね。他、二日酔いになりずらいとか・・・これは、マチガイ無いと思います、フフフ・・・。

 他ね・・・アメリカでのアンケートの話し、「知ってる(歌える?)映画の名曲ベスト100」だったかな?何せ運転中なので、うる覚えで・・・。で、その1位は、なんと映画「オズの魔法使い」の「オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)」だったようです。その他上位には、映画「カサブランカ」の曲「時のすぎゆくまま」だったかな・・・それとお馴染み、映画「雨に唄えば」の「雨に唄えば」、映画「ティファニーで朝食を」の「ムーン・リバー」、映画「卒業」からは「ミセス・ロビンソン」、映画「サウンド・オブ・ミュージック」から・・・何か忘れました(;^_^Aフキフキ ちなみに最近の映画では「タイタニック」の「MY HEART WILL GO ON」が14〜15位だったとか。ちなみにアンケートの年齢層は定かでは無いとか・・・。でも第1位の「虹の彼方に」は昨年秋頃だったかにもこのHitorigotoで話題にした事がありますが、ワタクシ的には永遠の名作であり、スタンダードナンバーだと思っております。ちなみにディズニー映画「ピノキオ」の「星に願いを」もワタクシとしては同じ名作だと思っております。「虹の彼方に」「星に願いを」両曲ともオリジナルも良いし、詩の内容も良いし・・・そしてジャズアレンジにしてもカッコ良いし、テンポアップしたフュージョン系にしてもハマリますし、クラシック的にオーケストラでやっても素晴らしいと思いますし・・・音楽としての素材が良いと思いますので、色んな形になっても違和感なく聴ける曲だと思ってます。良い曲と言えば、クラシックの世界では、他には類の無い古き良き名曲がいっぱい・・・それがゆえにクラシック音楽なのでしょうが・・・バッハにしてもヘンデルにしてもショパンにしてもベートーヴェンにしてもリストにしても、その他大勢・・・現在も飽きられる事なく愛されている楽曲の数々・・・究極の、それこそ世界的な永遠の名曲・・・人類の素晴らしい財産ですね。 mariyruinipapa  

  2004年6月3日(木)
  何気なく、春から夏の途中。
 日に日に夏っぽくなって来ますね。ついこの前まで、山々には、こぶしの白や桜のピンクの色々があったと思えば、やがて田んぼのあぜにはたんぽぽの黄色それが白い綿帽子になって、その後につつじですか?朱色や黄色など見事に咲き誇って。つつじの花もどこかで写真撮ってみようかと思ったのですが、ちょっとタイミングを逸してしまったようで、少々、花びらの元気が無くなってきたかな?今日、三笠に行く途中、周りの自然を見渡すと、すっかり緑ですね。特にここ最近、雨と晴天が繰り返されてたので、雑草君達には良い光合成が出来て元気いっぱいになったのでは?と思いますね。ふきの葉なんかも大きくなってきてましたので、いっそ花の写真をやめて、ふきの葉でも撮影してしまおうか?と思いましたが、ただ緑色なだけで色合い的には今ひとつですし、やっぱりやめました・・・ふきの陰にコロポックル君でも居れば、とってもナイスな写真が撮れるのですが、残念ながらコロポックル君はいらっしゃらなかったので・・・フフフ・・・( ̄ー ̄*) そうそう自然と言えば、昨日だったか一昨日だったか、テレビで見ましたがアメリカでは今、十七年蝉(セミ)が大量発生しているらしいですね。ちなみに字にして合っているかどうか解りませんが〜。セミの鳴き声がとってもうるさそう・・・というか、セミの鳴き声って、いかにも真夏っていう感じがして、暑苦しく感じません?それで今回、大量に発生したセミ、17年かけて誕生(ですから名前も十七年蝉らしい)するらしいですよ。ですから今回、木々だかに植え付けられた卵は、17年後に誕生するらしいですね。17年かけて生まれて6週間しか生きられないんですって。その上、ニュースで見たのが、とあるアメリカのおじさん、「羽が生えたエビみたいなもので、淡白質も豊富で、ダイエット食として最適さぁ〜♪」とか言ってフライか何かにして食べてました・・・17年かけてやっとこの世に生まれてきたと思ったら、おじさんの胃の中・・・彼等の一生って(T◇T)

 話が変わりますが、昨晩、帰宅する途中、夜空を見ると、月がとっても綺麗でしたね。満月に近かったかな?見た方いますか?仕事中、車で移動しながらラジオで聞いた話ですが・・・何でも、今日は満月で、1年の中で月が地球に一番近づく日(本当かどうかワタクシは知りませんけど・・・)なので、とても綺麗な月が見れるとか?現在、21:30近くですが、満月なのはハッキリわかるのですが、夜空を見上げると月が少し薄い雲の中で・・・それはそれで少し妖艶な感じもしますが・・・。もっとはっきり見えるようになったら写真撮ってみようかな? mariyrurinopapa 

  2004年5月30日(日)
  今日は、運動会でした。
 今日は、下の娘の小学校最後(6年生)の運動会でした。一昨日の晩から昨日の午前中まで降った雨の影響がグラウンドに多少ありましたが、今日の天気はそこそこ良かったので、開催できて良かったです。運動会も、上の娘の幼稚園から始まりまして下の娘が小6になった今年で11年、いよいよお弁当を持って家族やお婆ちゃん達と一緒のは最後になりました。毎年、場所取りやお弁当つくり等準備とか大変(ワタクシ達、父親は大してありませんが)と思っても、実際、今回で終わりかと思うとそれはそれでちょっとだけ寂しさがありますね・・・親の役目がひとつひとつ少なくなって行くという感じで。今度、「お弁当を持って運動会に」という行事は、孫が出来てから、つまりワタクシが爺さんに、真由美先生がお婆さんになってからですね・・・何年後か解りませんが。ワタクシも幼稚園から殆どPTA競技に参加しております。今年は玉入れでしたが、3組中2位でした。ちなみに下の娘、ちょっと危ない組体操(初挑戦)や騎馬戦(写真=左から2番目のチーム、白いシャツで上に乗っているのがYurikaです)と頑張りましたが・・・残念ながら娘の組は2位でした。(;.;) そうそう、それにしてもご観覧のご父母や祖父母の皆さん、ビール、よく飲みますねぇ〜!「車でしょ?誰が運転して帰るの?」と思いましたが、どうなんでしょうね(−_−;)。ビール、美味しそうで羨ましかったですが、ワタクシは、車でしたからウーロン茶でしたよ、マジメに。

 終わって家に帰ってから、家の周りの草むしり(雑草取り・・・ちなみにここ2〜3年、除草剤はまかないようにしてます)をしました。先週、仕事だったので、かなり中途半端に草むしりを行ったのですが、今日も何だか疲れてたし、時間もかかるので、また中途半端に終えてしまいました。来週、頑張ります。それで、その後、長沼温泉に行って参りました。温泉入ってサウナでボーっとして・・・至福のひと時ですね。でもね、今日はお風呂に入った瞬間、ヒリヒリって、ちょっと痛かったです・・・腕から肩にかけて。運動会と草むしりで日焼けしちゃって。腕時計のあとが白くくっきりと。今見ても腕、結構赤いですよ・・・フフフ・・・。そうそう。サウナに入ってその後に水風呂に入る時って、結構、勇気要りますね。ワタクシ、心臓が強くないので(本当に)・・・エイヤ!って思って入りますが、心臓止まったらどうしようかと思います(笑)裸で倒れるはちょっと照れるな(>ω<)。水風呂から上がると、やはりちょっと体内の循環器系が驚いたようで、ちょっとクラクラしましたヨ。それで涼しい空気に当たろうと思って、露天風呂の方に行って見ましたら・・・居ましたよ!二人ほど、腰に手をあて仁王立ちしてました!(ひとりごと、GWの岩内旅行の温泉の話し参照)ワタクシの「男の人は、露天風呂で、腰に手をあて仁王立ちする」という方程式は立証されましたゾ!ちなみにお一人は肩にピップエレキバンみたいなのを貼ってましたね(^.^) ワタクシも心の中で「お供します」と思ったのですが、ちょっとクラクラ気味でしたので、手すり(露天風呂の入り口からちょっと階段があって手すりが付いています)に左手だけつかまって、右手だけ腰にあて仁王立ちしました(^-^)v でもやはりちょっとクラクラ気味なのでリタイヤ、横の方に座って休みました。結局、その後も3回、サウナに入りまして、1,6Kg程、体重がおちました。脱衣所で髪を乾かそうと思って、鏡をよくよく見ると、いやはや、顔も真っ赤、特に鼻のてっぺんあたりが。こりゃ、ちょっと格好悪い・・・もともと格好良くもないが。

 帰りの国道234号線、車の中でラジオを聞いてまいしたら、ジャズピアニストの上原ひろみさん(チャイコフスキーコンクール1位の上原彩子さんでなくて)の曲が流れてました。こういう曲を聴くの久し振りでしたが、格好いいですね。車を走らせながら聴いても気持ち良かったし。今度、Kitaraでもコンサートがあるとか。10数年前に菊池ひみこさんのアルバム「セビリヤ・ブリーズ」、好きで良く聴いていた頃があったのを思い出しました。  mariyurinopapa

  2004年5月9日
  今日は、母の日。
 今日は、真由美先生は、朝から札幌に行きまして、ヤマハ札幌センターで行われました宮澤功行先生によります「PTNA公開講座・公開レッスン」を聴講して参りました。ワタクシは、朝、JR岩見沢駅まで、真由美先生を送って、それから理容店に散髪に行って参りました。少し髪を伸ばしてみようかとも思ったのですが・・・ワタクシですね、髪が細いんですよね。それでセットしても長持ちしないんで、ジェル(無香料)とか付けて整えてるのですが・・・少し伸ばしてナチュラルにサラサラとさせようかと思ったのですが、近々、法事もあるし、真由美先生が「切った方がいいよ」って。髪短くなると、ホラ、顔面が大きく見えるしねぇ〜。まぁ、いいか、それもまた事実だし・・・フフフ・・・。

 さて、今日は、母の日。真由美先生の母上には、毎年同様、昨日、真由美先生が歌志内のレッスンの時にお花を届けてきました。まりゆり姉妹も真由美先生にプレゼント・・・お花を買って来て、そして二人で何かチョコレートで作ったりして。ワタクシは、散髪の後、それから花を買いに行って、ワタクシの母さんのお墓参りをして来ました。いつもは、家族みんなか真由美先生と行くのですが、今日はひとりで行ってきました。たまにはそれもいいかな?って思って・・・でも、親子水入らずになっても、まぁ、あまり話す事もありませんでした・・・やっぱり子供の事とかですね。生前は「母の日」と言っても、何をしてあげたのか?してなかったのか?あまり覚えてないのですが・・・ひとつだけ覚えてます。ワタクシが、小学校の低学年の頃、兄弟3人でお小遣いを出し合って、3人でお店に行って、たしかスカーフだったと思いますが(何色だったか忘れましたが)、買ってプレゼントをした事があります。母さんはちょっと照れながら嬉しそうな顔をしていたのを覚えてます。ワタクシが、記憶にある中で親に何か買ってプレゼントをした初めての事でしたので、結構、しっかり覚えてますね。それ以外は、あまり何かしてあげたという記憶が無くて・・・結局、親孝行のひとつもしないうちに逝かれてしまいました。ワタクシが20歳になってまもなくの頃です。葬儀の時は、それがただひたすら悔しく、ずっと涙が止まらなかったですね・・・そして葬儀中、ずっと母さんの写真に謝ってました・・・「母さん、何も親孝行できなくて、ゴメンね。」

 まぁ〜あまり湿っぽい話もどうかと思いますが・・・世間一般的な教訓ですね。「親孝行したい時には親はなし・・・」って事ですね。

 いいですか、まりさん・ゆりさん、よ〜っく聞いて下さいね!「親孝行したい時には親はなし・・・」ってよく言われてるらしいですよ〜(^-^)v

 いいですか、まりさん・ゆりさん、よ〜っく聞いて下さいね!「親孝行したい時には親はなし・・・」ってよく言われてるらしいですよ〜(^-^)v

 
いいですか、まりさん・ゆりさん、よ〜っく聞いて下さいね!「親孝行したい時には親はなし・・・」ってよく言われてるらしいですよ〜(^-^)v

 ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・
すみません、ついつい、興奮してしまいました・・・(^o^;...
ヨシッ!これだけ言っておけば、「父の日」も大丈夫だな・・・フフフ・・・
 以上、mariyurinopapaでした。 

  2004年5月7日(金)
  言ってはならない、ギャグo(><)o
 昨晩、やっぱり地震ありましたね。震源地は道東のようで、釧路で震度3、札幌や栗沢で震度1だったようですね。ワタクシ、結構、地震に敏感みたいです。我が家では、だいたい一番最初に気が付きます。寝ていても目が覚めたりしますね。大丈夫そうな時は、真由美先生を起こさずにそっとしておきますが。昨年、職場でも事務仕事をしていたら、かすかに揺れて「地震だよね」って会社のスタッフの人達に聞いても誰もわからず、翌日の新聞を読んで「やっぱり地震あったんですね。よくわかりましたね。」って驚かれた事もあります。でもナマズみたいに予知までは出来ませぬ。

 ところで、岩内に行って、温泉入って・・・夜、露天風呂で、見知らぬ旅人(ってそんな所まで行って知ってる旅人だったら、それもちょっと・・・ですが)から「これで、星空が見えたら最高なんですがね。」と声掛けられました。ワタクシ、「ホントにそうですね。星・・・ひとつだけは見えますが。海に夕陽が沈む所なんかもイイですよね。」なんて、会話をして。それ以上はお互い言葉を交わす事もなく・・・その方が、風呂から上がって、ワタクシ一人になり・・・。男のひとって、露天風呂でよく腰に手をあて仁王立ちするひといませんか?って、奥様方や女の子は、わかりませんよね(笑)。ここで、「そうそう、よくいるよね!」って答える人(女性)いたら、「どこで見たんじゃい!」ってな事になりますが(☆o☆)まぁ、とにかくせっかくですから"男のひとは、露天風呂で腰に手をあて仁王立ちする"という事にしておきましょう・・・フフフ・・・。そこで、更に目の前が海でしたら、そりゃもう何か叫びたくなりますよね!えっ?ならない?イ〜ヤ、なるんです!なるはずです!少なくても男なら!それで「何か叫んだの?」って?・・・叫ぶワケないじゃないですか〜!ハズカシイ!気持ちの問題ですよ。そういう時は心の中で「海のバカヤロー!」とか、「俺は男だ!(by森田健作)」と叫ぶんですよん♪(*`▽´*)

 それでね、岩内に行ったという話しをすると、必ず出てくるんですよね・・・おやじギャグ。ちなみに個人的にはおやじギャグ・ベタネタ、大好きですがf(^_^)ぽりぽり。でね、もうお分かりだと思いますが、岩内(いわない)ですから・・・「そんな事、言わない(いわない)」とか「何も言わない(いわない)で岩内(いわない)に行った」とか・・・なんか今日は若いひとまで言ってたな┗(-_-;)┛。そう言えば・・・ワタクシの父さん(故人)、酔った時とかにたまに「それじゃあ、根室(ねむろ)の町に行くから〜♪」みたいな事を言って、布団に入ったな・・・(−_−;)。今でも思い出すのが、中学の時の英語の先生・・・「Do you know?って"どう言うの〜?"」って言ってた・・・ワカリマスカ?解った方、一瞬、固まらなかった?大丈夫(∵)?当時、このギャグ、実にクダラナイと思ってたのですが、今でも覚えてると言うことは・・・なんだろ?(−_−;) 他にも色々と自分のもあるのですが、かなり恥ずかしいネタですので、今日はお話し致しません・・・ワタクシの悪友のOyajiハードロックバンドのメンバー及びサポーターには知られてますが・・・フフフ・・・。それでね、話戻って「いわない」ですが・・・まぁ、ここまで、ワタクシも色々と言いましたが・・・究極、ワタクシ言っちゃたんですね、真由美先生の親友にその類のギャグ「岩内に来た事、いわないで・・・」みたいな事。。。ワタクシもついついとっさに出てしまったので、ハッキリと認識しておりませんが・・・ちょっと後悔してます。お友達、覚えてるかな?覚えていないなら幸いですが(汗)。ひょっとして岩内の方って、他所から来た人からよくその種のネタ、聞かされるのでは?・・・ひょっとしてワタクシの事、「ブルータス、お前もか!(byシーザー)」って思ったのでは?どうもすみませんでした。もう、そういうギャグは言わないようにします\(_ _) 

 まぁ〜それはそれとして、本当に岩内町は良い所です。岩内平野・海・山・高原・温泉、そして芸術もあり、何よりも美味しい料理と!ワタクシはこの町が好きになりましたね。 mariyurinopapa

  2004年5月5日(水)
  ゴールデン・ウィーク、久々の家族4人での旅行
 皆さん、今年のGWはどのようにお過ごしでしたでしょうか?我が家は、4日より1泊2日で久々の家族4人での旅行でした。場所は、道内で、岩内町でした。何で?岩内かと申しますと・・・実は真由美先生の高校時代の親友が住んで(数年前に嫁いで)まして、前々から一度行ってみたいと真由美先生が言っていたからです。でも、4月下旬に企画した事ですので、なかなかホテルが取れなく、なんとか1件取れたという状況でした。

 4日火曜日は、朝7:00頃に自宅を車で出発、岩見沢から小樽までいっきょに高速道路(道央自動車道と札樽自動車道)で・・・積丹半島をぐるっと周って、と思ったのですが、天候が悪く雨でしたので、それを取りやめて・・・とりあえず、余市まで行って、「道の駅」でひと休み。仁木町を通って共和町で郷土資料館をちょっと見て、それから泊村に行って「とまりん館」という施設を見学。泊村って、知りませんでしたが、明治以前に北海道で初めて燃える石(いわゆる石炭)が見つかった所で、その後、北海道で初めて水力発電所も作られて、そしてやがて原子力発電所、現在は風力発電も4基あるんですね。ちょっとした社会学習になりました。原発に関しては色々な意見があると思いますが、ここではあえて触れません。そして、岩内町へ。いやぁ〜、岩内町、なかなか良い所ですよ、岩内平野・海・山・温泉そして芸術と、いろいろあって。ワタクシは、都会よりもこういう所の方が好きなんですよね。先ずは「道の駅」に行って、お昼ご飯。ここでは、「いくらとたらこの二色丼」を食べました。本当は、それに"うに"も入ってる三食丼を注文したかったのですが、何でもシケでウニが入ってないとの事でした。そうそう、隣の人とか焼き魚の定食を食べてましたが・・・ひとの食べてるのって、何か美味しそうに見えますよね・・・フフフ・・・。そして、昼食後、同じく道の駅の所にある「木田金次郎美術館」に行ってきました。木田さん(故人)は岩内の人で、文学界で有名な有島武郎氏とも交流があった方のようですね。そして、その後、岩内のもうひとつの美術館「荒井記念美術館」を見学して参りました。こちらは個人(地元の方でなくて東京の人?個人か法人かは定かでありませんが)で経営されている美術館のようで、ワタクシとしては、こちらの方が面白かったです。館内、結構広くて、先ずは1号館でこの美術館の特長でありますピカソの絵(ホントに何でここにピカソが?と思いましたが)を鑑賞して、続いて2号館で、色々な北海道の画家の絵を鑑賞致しました。岩見沢に記念美術館のある松島画伯の絵も一枚展示されてました。そして何よりもワタクシとしては、圧巻だったのが、この美術館、音楽ホール「いわない高原コンサートホール」まで併設されているんですよね。公共の建物でも無いのに、珍しいと思いました。ホールでは催事が入ってなくて、会場内暗くなってましたが、グランドピアノはベーゼンドルファ−225型が入っているらしく、美術館のオープン(1980年代後半)のこけら落しでは加古隆さんのコンサートが開催されたようですね。客席も200席とほど良い感じで、岩見沢にもこのようなホール(これくらいのキャパのホール)があったら色々と出来るのになぁ〜と思いました。ワタクシが大金持ちでしたら、ここまで大きくなくても音楽ホールと美術館を併設したもの是非作りたいですね・・・夢みたいな話で無理ですが(笑)。この美術館の周辺には人気の高原ホテルがあって、当初、そちらに宿泊希望でしたが、さすがに満杯で無理でした。

 美術館での鑑賞も終わり、そして、いざ宿泊先へ。少し車で走って・・・途中に3,5km位の長いトンネルを通って・・・到着した温泉ホテルは新しい建物ではありませんでしたが、部屋やお風呂から海が見えて、景色は良かったです。ひと休みして温泉に入って、そして、晩御飯・・・今回の旅の目的の美味しい海鮮料理・・・カニやらエビやらアワビやら、鍋料理もあり、また大部屋での食事ではなくて広い個室でしたので家族水入らず、そしてお腹一杯(食べきれない程に・・・って、ワタクシは全部食べましたが・・・)に美味しい料理を堪能させて頂きました。実は、真由美先生、熱っぽくて薬を飲んだいたせいか、車の中やホテルについた後もず〜っと眠っておりました。が、料理にはご満悦でしたね。そして、食事が終わって、ひと休みしてから、ワタクシはその日2回目の温泉に入って来ました・・・そしてまたビール、と♪

 さて、日が変わって5日、ホテルを後にして、海岸にちょっと行ってみて・・・天気が良かったので、気持ち良かったですね。それから、今回の旅行の目的のひとつでもあります真由美先生の親友宅を訪ねて。こちらのお宅にもちょうどウチの娘達と年が1歳ずつ違う姉妹が居て(弟さんもいます)、またピアノもやってらっしゃていて、やはり、子育ての事・子供の学校の事・ピアノの話で盛り上がりました。そうそう、娘達のKitaraのリサイタルにも岩内からわざわざ足を運んでくれております。昼食に美味しいお寿司を御馳走になってしまいました・・・トロ・アワビ・ウニ・カニ・他、さすが漁業の町・岩内!たいへん美味しゅうございました♪ありがとうございました!食後にお嬢さんが作られたケーキもご馳走になり、すっかり長居をしてしまいましたが、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。そして、帰路へ。またまた小樽からは高速道路を利用して、途中、渋滞にもあわず・・・結局、岩内からは約3時間程で岩見沢に到着致しました。我が家にとっては、のんびりとしたGWでした・・・でも、出来る事なら明日もう1日休みが欲しかったな(笑)。 以上、mariyurinopapaでした。

  2004年4月27日(火)
  今日は、○○の日?
 ラジオで聞いたのですが・・・今日は、「悪妻の日」なんですってね(o^v^o) なんでもソクラテス(古代ギリシアの哲学者、教育者。はじめソフィストの新思想に親しんだが、のちに自分の無知を知るゆえに知を求める愛知を真の人間存在のあり方であるとし、対話により、青年たちを無知の自覚にいたらせ、そこから共に真の知識を探求することを天職と考えるようになった。しかし彼の活動は市民の誤解を受け、異教の神を信仰し、青年をまどわせたとして告発され、死罪となった。彼自身の著作はなく、クセノフォンや彼の弟子プラトンの対話篇によって知られる・・・小学館の辞典より)の亡くなった日?か何かのようで・・・カーラジオを付けた時、既に話が途中からだったので、詳しくは解らなくて、m(_ _)mごめんなさい。それで、ソクラテスの奥さんがいわゆる"悪妻(夫や家庭にとって悪い妻。⇔良妻・・・これまた小学館の辞典より)"だったらしくそれにちなんで「悪妻の日」なんですって。何もそんな日まで作る事ないのに・・・と思いますが( ̄○ ̄;)! そうそう、ソクラテスの言葉で「結婚してみなさい。相手が良い奥さんだと貴方は幸せになれる。相手が悪妻だと貴方は哲学者になれる。」というのがあるとか。ワタクシ、彼(ソクラテス)とはお友達でもないし、直接、彼から聞いた話しでは無いので、本当に言ったかどうか知りませんが・・・。ワタクシは?結婚して・・・そうですねぇ〜・・・良く解りませんが、とりえずは、哲学者にならずに、我が家のお笑い担当になった事は、間違いないようですが・・・フフフ・・・。そうそうPart2、モーツァルトの奥さんも夏目漱石の奥さんも"悪妻"だったんですって。ラジオのお姉さんも言っておりましたが、何を基準・根拠に悪妻に任命されるのでしょうね?でも、いずれも今日、ラジオで出た名前の人は偉業を成しえた人ばかりでした。という事は、ワタクシ、おそらく偉人にはなれませんね。だって、真由美先生、少なくても"悪妻"では無いと思いますので、多分・・・「この"たぶん"は余計だ!」と後で言われそうだな(-_-;) まぁ〜、いずれにしても男なんぞは、自由に飛び回ったりなんだりしているつもりでいても所詮はお釈迦様(妻)の手のひらの中の孫悟空(夫)、といった所がちょうど良いのでは?と思ったりもするワケであります。もっとも・・・ワタクシの場合は、孫悟空ではなくて猪八戒の方がお似合いだと83,7%の方々が思ったでしょ・・・ごもっともです!/(;_-_)\
 以上、mariyurinopapaでした。

  2004年4月2日(金)
  ヨーロッパ研修が終わって
 4月だというのに・・・ナンザマショ!この天気は!もう雪はいらんちゅ〜の!ラジオによるともう夏タイヤに履き替えた方もいて、スタッドレスに履きなおしたとの話もありました。ホ〜ント、もう最後にしてね〜♪

 さて、欧州から子供達が帰国して、色々と話しも聞きました。今回の研修旅行は、前回のより小さなお子さん達が多かったようですが、引率された先生方も何かと大変だったと思います。本当にお疲れ様でした。でも子供達にとって、賑やかで楽しい旅行だった事も間違いないようで、その件に関しましては、札幌コンセルヴァトワールのBBSを読んで、良く解りました。中には、テンションが高すぎ?になったり、お寝坊さんだった子供さん達もいたようですが(笑)・・・みんなにとって素晴らしい経験だったようですね。娘のMarieと真由美先生の生徒のMちゃんは、2度目のパリ(前回はプラハとウィーンで演奏して、最後にパリ観光)という事もあって、少しゆとりを持って(お買い物なども)楽しめたようですし、Yurikaにとってパリは初めてでしたが2度目のヨーロッパという事もあり、その経験は今回活きたようですね。真由美先生がお目付け役?として同行したのは、彼女達にとって、幸か?不幸か?は、わかりませんが(笑)、やっぱり同行して良かったと思います。何せ、とにかく忙しかったようですし。それで、コンセルのBBSの娘達とMちゃんの書き込みを読んで嬉しかったのは、“楽しかった”“感動的でした”という事もそうですが、何より“充実した毎日でした”という事ですね。彼女達が渡欧して、レッスンを受けたり、演奏したり、美術館やオペラや観光も含めて、色々と経験してきた事により、今後彼女達の音楽(または人生)のステップアップする為の何かを感じ取ってくれたら嬉しいですね。勿論、それがすぐに何か形になって表れるとは思えませんが。でもきっと今後にピアノの事であっても違う事であっても、「あの時にあのような素晴らしい経験が出来た事が、今、こんな形でプラスになってる」という事が必ずあると思いますヨ。また、真由美先生にとっても今回あちらでのピアノ事情(演奏会やレッスン、その環境など)に触れて、指導者としてもプラスになったのは勿論の事でしょうし。ワタクシにとっては???そうですね、お陰様で何故か6時にビミョウに(ハッキリでなくて)目が覚める習慣がついたり、7時以後に時間差で鳴るようにセットした5つの目覚まし(ラジオ&時計&携帯)のお陰、というかその疲れ?が今になって出てきたようで、時差ボケでは無いのに何故か眠い毎日です。

 そうそう、サンクトペテルブルグの演奏会も終わって、パリ経由で戻って来た日の朝、ストライキの為に機内朝食がちゃんとしたものが出なくて、何故かメキシコ料理の缶詰とワインだったんですって。それで、それも持って帰って来てくれました・・・ちなみに我が家の朝もここ2日間はストライキ状態(まだまだみんな時差ボケと疲れの為?深い眠りのまま)で、朝食に関してはまだ“単身生活”状態が続いており、その缶詰を・・・ありがとう、メキシカーナの缶詰さん!けっしてワタクシにとって美味しい朝食とは言えないかもしれませんが、今、生きていれるのはキミのお陰です・・・フフフ・・・(T◇T) 以上、mariyurinopapaでした。

  2004年3月25日(木)
  春の風景、V字編隊。
 ここの所(真由美先生と娘達が渡欧した21日より)、毎日、Hitorigotoを書いてますね・・・自分では、3日に一度位は書こうと思っていたのですが、まぁ、ちょこちょこと書いてますね。こう毎日書いてると変に○○○○からと誤解されるかな?と思ったら、案の定・・・昨日、買い物行った時に友達(ある意味、同業者・・・某HP管理人)に遭遇致しまして、指摘されました・・・「ひとりで寂しいから毎日Hitorigoto、書いてるんでしょ〜♪」って。決して、そういうワケではありませんヨー!!!こういう日々も貴重な体験ですから、何かしら綴っておくと後で懐かしく思えるだろうからです。でも、そんなに書く事も無いのも事実ですが・・・(^o^;...

 今日は、娘達、パリからロシアのサンクト・ペテルブルグに向けて出発です。ペテルブルグはたしかロシアではモスクワに次ぐ第二の都市(人口は約470万人)ですね。旧ソ連時代はたしかレニングラードという名称だったと思います。ソ連崩壊後、都市の名称を帝政時代の名称に戻したんですね。ちなみにワタクシの学生時代の得意技(得意教科)は、地理でした。

 話し変わりますが・・・最近、渡り鳥のX字編隊が少しずつ目につくようになって来ましたね。もう少ししたら、もっと多くなってきますよね。北村とかの田んぼでは、ひと休み?の為か、鶴とかが舞い降りて来たりします。X字編隊で、時々、遅れてくるのがいたり、綺麗なX字になっているのもあればちょっと乱れているのもあったり、色々面白いですよね。結構、鳴き声も聞こえますよね。でも、何でX字編隊を組んで飛行しるんでしょうね。誰かに仕込まれたワケでもないのに、自然の神秘ですね。ふと思ったのですが、人間にこのようなX字編隊の習性がなくて良かったですね。例えば、小学校の遠足で、先生を先頭に子供達がX字編隊を組んで歩くような習性があったら・・・後ろの方になるとだんだんと幅が開いていくワケですから、道路(歩道)もかなり幅広のものが必要なワケですね。他のX字編隊のグループと道ですれ違う時なんて、そりゃもう大変でしょうね!って、こんなバカな事を考えるワタクシっていったい・・・(T◇T) mariyurinopapa

  2004年3月24日(水)
  パリでの演奏会、終了。
 今朝、上の娘からまたメールが来てました。内容は、「今、演奏終わったよ〜。無事弾き終わりました〜w(^o^)w「ブラボー☆」って声かかったよ。....けど眠くて眠くても〜ぅダメ。時差ボケボケボケって感じ。(_ _)Zzz」との事でした。そしてメールを読んで、朝ご飯の用意をしていたら電話も来て、Marieと真由美先生と少し話しました。Yurikaのソロはトップバッターでの演奏だったそうです。時差ボケで眠たいながらも上々の演奏だったようですね。演奏会終了後にたくさんの方から声を掛けられたそうです・・・が、フランス語でしたので、子供達は何を言ってるのか解らなかったようですが、おおかた「素晴らしかったですよ!」という内容だったようです。Yurikaは、ほっぺを”すりすり”されたとか(笑)。彼女は、それ(すりすり)を喜んでいたかどうかは定かではありませんが、フフフ・・・。なにわともあれ、無事、演奏が終わって良かったです。それが目的の渡欧ですから。今日は買い物などを楽しんで、そして、明日、サンクトペテルブルグに向かうようです。

 今日は、小学校が終業式だったんですね。ワタクシ、お昼休みに、下の娘の「あゆみ」を頂きに行って参りました。いくつになっても職員室にはいるのは緊張するものですね。というか、ワタクシ、小学校の時から職員室に呼ばれるときはロクな事が無かったので・・・というか、ロクな事をしてなかったので(笑)・・・何故か職員室に入るとやましい事をしているワケでは無いのですが、神妙になりますよね。で、これまた何故か、担任の先生に「友梨香ちゃんのお父さんだってすぐわかりました」って言われました。え〜〜〜!顔は似てないでしょ〜〜〜!下の娘は、母親似ですよね〜。特に目の大きい所がネ!

 そういえば、もう少しでカウンタが15,000に到達しそうです。順調に行けば、多分、明後日あたりでしょうか?ゲットした方は、メール下さいね(ちなみにウィルス付きメールはいりませんので・・・最近、また多いようですね)。但し、プレゼントは、真由美先生の担当ですので、ヨーロッパから帰ってきてからという事で、ヨロシクお願い致します♪ mairiyurinopapa

  2004年3月21日(日)
  パリとサンクトペテルブルグへ。
 今日は・・・4:30起床、5:30自宅を出発(千歳空港までワタクシが車で送って)、7:45新千歳空港発、そしてお昼過ぎに成田空港発・・・彼女達は、ワタクシを一人残してパリへ旅立ちました。イエイエ・・・け、けっして、寂しいワケではありませんよ。だ、大丈夫ですよ・・・(;ヘ;)

 千歳に向かう道・・・いつも長沼を通っていくのですが、長沼や千歳は雪が降ってたらしく、今朝はアイスバーンで、ちょっと運転が恐かったですね。しかも朝陽のせいか、水蒸気?もや?が出てこれまた所々前方が見えづらくて。でも、長沼から千歳にかけて、木々に雪が付いて(樹氷)とても綺麗でしたよ。クリスマスツリーで真っ白なのあるでしょ、あれみたいな感じ。よっぽど、途中、写真を撮ろうかと思いましたが、カメラも荷物の中にしまってしまいましたし、余計な事をしている時間もなかったので。千歳に向かうこの道のり、結構、好きになりました。思い出がいっぱいです。千歳に行く時は、ピアノで良い事があった時が多いので♪ワタクシは送り迎え専門ですが(T-T)。ちなみに今日は、空港からの帰り道、一人でそんな事を考えながら運転していたら、JR千歳駅の手前で右折しなければならないのに、ぼ〜っとしていたのか、いつの間にか駅を通り過ぎてしまいました。アブナイ、アブナイ・・・f(^_^)。

 今回は、Yurikaが昨年のピティナで海外招聘審査員特別賞を受賞したのとパリのエコール・ノルマル音楽院の教授が娘達のデュオのCDを聴いて下さり特別に声を掛けて下さったようです(昨年の11月2日のHitorigotoでもご報告致しましたが)。海外招聘審査員特別賞もたまたま今年にこのような企画をして頂きましたが、毎年、このような企画があるワケではありませんので、大変、幸運な事であり名誉な事です。更に今回は、フランスのパリに続いて、ロシアのサンクトペテルブルグでも交流演奏会やレッスンなどがあるようで、貴重な経験になるかと思います。Yurikaは、2000年秋のドイツのベルリン以来、MarieとMamiちゃんは2002年春のチェコのプラハとオーストリアのウィーン以来の海外での演奏となります。今回の経験でまたワンステップ成長してくれる事を願っております。そう言えば、実はですね・・・下の娘は、今回、真由美先生が同行する事をイヤがってたんですよ。何故か?って言うとですね、部屋割りが“まみ&まりペア”に当然なるとしたら、自分は母親(真由美先生)と一緒になる可能性が高いから、自分も誰か同学年のお友達と一緒が良いから、という理由だそうです。案の定、部屋割りは予想通りになったようですが・・・。でも補助ペダルや足台の設置を他の先生にお願いするワケにもいかないので、真由美先生は殆どその為に同行です。勿論、母親としてもそうですが、生徒も参加しているので、頼りになる先生としての参加でもあるワケですね。

 千歳空港のロビーでは、ワタクシにも気を使って?くれた先生やお母様方もいらっしゃいまして、「寂しくなりますね」とか「居ない間に羽を伸ばしすぎないようにネ」とか声を掛けて下さりました。でもワタクシは、以外とこういう時に早寝早起きの規則正しい生活をしたりします。朝起こしてくれる人がいないので、自分で緊張感を持って生活します・・・そこそこにですが(^.^) とにかく・・・何よりも道中、事故なく元気に帰って来て欲しいです。たくさんのおみやげ話と写真を楽しみに、しっかりと留守番を頑張ります! mariyurinopapa

  2004年3月9日(火)
  少年時代・・・初めての親友。
 春3月、卒業や移転など、別れのシーズンでもありますね。でも、4月になると入学やクラス替えや就職など、また新たな出会いもあったりするワケですね。冬の後には必ず春が来る・・・別れがあれば必ず新たな出会いがある・・・当たり前の事ですが、何かやっぱり春が来ると色々と新鮮な気持ちになりますよね。今日は、またクダラナイ話しですが、ワタクシの少年時代の話しをしましょう。ワタクシの人生の話しなんざぁ、大したものでは無いので、読まずに通り過ぎて頂いても構いませんよ♪

 ワタクシ、3人兄弟の末っ子なのですが、小さい時、兄ちゃん達とかその友達とかと遊んでばっかりで、どちらかと言うと小学校の低学年位まではあまり同年代の友達と一緒に遊んだっていう事が少なかったかもしれません。結構、悪ガキでしたし・・・。

 小学校の5年生の頃だったでしょうか?彼(一応B君としておきましょう)が転向して来たのは・・・。ワタクシ、栗沢町の美流渡という所(もともと炭鉱で栄えた地区で、ワタクシが小学生の頃はクラスに30名ちょっとの生徒がいたと思いますが、最近はどうでしょうか?すっかり過疎が進み複式学級になったという噂もちらほら)で育ったのですが、B君はもう少し山奥に入った同じく元炭鉱地区の万字という所の小学校から転向してきました。最初、誰も話しかけなかったせいか、よく頬杖をついてボケ〜っとしてました。多分、ワタクシが最初に声をかけたような記憶があります。たまたまB君の家もワタクシの家の近くでしたので、一緒に学校に通う事になりました。ワタクシが迎えにいくのですが、いつも朝食中で、不思議と味噌汁のかわりなのか必ずに近い位にインスタントラーメンをおわんによそってましたね。それまで、ワタクシ、家で勉強するという習慣を持ち合わせてなかったのですが、B君と遊ぼうと思っても宿題とかちゃんとやらないと外に出れなかったので、仕方なく、いつのまにか一緒にB君の家で勉強もするようになりました。勿論、毎日ではありません。B君も優等生ではありませんでしたし。時々、近くの電器屋の息子もいっしょでしたね。B君は野球が大好きでした。ワタクシもちょうど野球が好きになった頃でした。それで、学校の給食の後の長い休み時間には、毎日のように校庭でキャッチボールをやりましたね。彼にキャッチャー役をやってもらって随分とピッチングが上手くなりました。その内に他の友達とかと学校が終わってから空き地で野球をやるようになりました。その頃、ワタクシ、勝手ながら人生の計画(夢)を考えました。高校まではB君と一緒の学校に行って、そして高校野球で一緒に甲子園に行って、その後は二人ともプロ野球界入り・・・でもここからは別で、ワタクシは読売ジャイアンツ(巨人)で、B君は阪神タイガースで、二人は宿命のライバルになる!という計画でした。それで、学校帰りとかに「オレ、巨人に入るから、お前、阪神な!」ってB君に言っておりました・・・でもB君がいつもかぶっていた野球帽はワタクシと同じでジャイアンツのでしたf(^_^;

 でも彼が居たのは一年間かそこらで、また別の炭鉱町に引っ越ししてしまいました。前の日に元気に別れたような気がしましたが・・・翌日、学校に行っても彼はいない・・・ひとりぼっち。なんとなくポカ〜ンと心の中に穴があいたような。休み時間、悲しいのを悟られるのがイヤで窓の外をひとりで眺めてるとN子ちゃんが来て「B君、いなくなって寂しくなるね。」って言われた途端、目からポロポロと涙がこぼれて落ちてきました。でも、男が泣くなんてカッコ悪いと思って歯をくいしばるように我慢しましたが、それでも「うっ、うっ・・・」と小さく声がもれて、涙が。自分でも正直、驚きました。そんな事で泣くなんて・・・。

 B君とは短い付き合いでしたが、自分にとっては何か変革できた、とても良い付き合いだったと思います。でも、その後、手紙のやりとりとかして、夏休みに遊びに帰ってきた事もありましたが、少しずつB君が変わっていくのが感じました。多分、向こうでの学校の友達の影響だと思いますが。年賀状もいつのまにかやりとりしなくなって・・・。それと不思議にその頃の写真が全然無くて、B君の顔は記憶でしか思い出すしかありません。

 B君がいなくなって、1年以上経ってからだったでしょうか?ふと、思い出した事がありました。実は、一緒に川を下って旅に出よう!って「いかだ」を作っていたのです。いかだと言っても丸太をロープでつなげて、という物ではなくて・・・ズリ山のふもとの空き家の壁とかの板をはがしてそれを適当にたくさん釘で打ちつけたものでした。でもそれは、その頃の僕等にとって、自由と冒険のシンボルみたいな物だったのかもしれません。しかし、一冬越して、雨風にもあたったせいか、それは随分と汚いものになってました。それを一人で一生懸命に引っ張って、そしてちょっと小高い川岸から落とすようにして浮かべてみました・・・が、浮かびませんでした。「ザッパ〜ン!!!」という大きな音の後、そのまま沈んでしまいました。その時の光景は全てが鮮明というワケではありませんが、その時に思った事は不思議と今でも覚えています・・・それが沈んだその川面を呆然と見ながら「本気でこれが浮かぶと信じていたのだろうか?本気で旅に出ようと思っていたのだろうか?これに乗ってどこに行こうとしたんだろうか?ただ、冒険をしてみたかっただけなのかな?それとも何かから逃げ出したかったのかな?でも、現実ってやっぱりこんなもんだよなぁ・・・」って。そして、何故かとても悲しかった・・・。 mariyurinopapa

  2004年2月1日(日)
  CF治療の募金
 今日から2月。今日は、札幌サンプラザホールで、ピティナ・ピアノフェスティバルが開催されます。我が家の娘達、真由美先生の生徒さん達、その他、北海道(道東除く)からたくさんのピティナっ子が集まってのコンサートです。みなさん、ステキな演奏が出来ます様に頑張って下さい♪

 さて、今日、午前中にコープさっぽろ南店にとあるリサイクル品を出しに行った所・・・・・北海道新聞や毎日新聞等にも記事として掲載されておりましたが、野々村絵里ちゃん(新聞掲載・募金チラシの配布などがされており、既に公に名前が公表されてますので、ここでも本名を書きます)の肺移植の為の募金をやっておりました。知っている方もいらっしゃると思いますし、既に募金をした方もいらっしゃると思います。募金活動は「CFの絵里ちゃんと歩む会」が行っており、先日から、絵里ちゃんの在学していた岩見沢市内の中学校の生徒さんや、高校時代の同級生達が一生懸命に活動しているようです。

 絵里ちゃんは、配布されている募金チラシや新聞で読んだ記事によりますと・・・・・嚢(のう)胞性線維症(Cystic Fibrosis:略称CF)という難病で北海道大学付属病院に入院しているようですが、北海道内では絵里ちゃん一人という難病だそうです。国内では、病院の倫理規定により生体肺移植が難しいことから、「CF」治療の技術が高く実績豊富なアメリカのユタ大学で肺の移植治療を受ける事になったらしいのですが、約1億円かかるそうです・・・・・もし、自分の子供だったらと想像しただけでも胸が痛み、切なくなってきます。小さな金額でしたが、募金をして参りました。家に帰ってみると、先に買い物に出掛けていて帰ってきた真由美先生も、募金してきたそうです。絵里ちゃんは現在、大学生ですが、以前にエレクトーンを習っていた事があったようです。きっと音楽も好きなのですね。治療が受けられて、何とか病気が治ると良いですね。 mariyruinopapa

  2004年1月21日(水)
  ちょっとした小話・・・父の心の叫び
 明後日は、札幌のルーテルホールで、札幌コンセルヴァトワールのピティナ全国大会出場者たちによりますコンサートが開催されます。我が家の娘達も幸いにもこのステージで演奏させていただく事になっております。が、真由美先生より非常事態宣言が発令されまして(今日も札幌にレッスンに行きました)、心配しております。上手く演奏できれば良いのですが・・・ ところで、リサイタルシリーズと言えば、昨年の5月に札幌コンサートホールKitaraでコンサートにデュオで出演させて頂きました。あの日は、地下鉄で事故がありまして、チケットが完売になったにも関わらず、第1ステージは売券数ほど、お客様が入りませんで、ちょっと残念でした。が、演奏は出演者全員素晴らしかったと思います。今日は、その時のちょっとした事をお話をさせて頂きますね。いつも通りクダラナイお話しですが・・・。

 娘達は、あの日、第1ステージ(ソロ3名・デュオ1組)で最後に演奏を致しました。娘達も無事、演奏終了して、第1ステージが終了・・・見に来て下さった知人の方々に御礼をと思い、ロビーに出て行くと・・・とある見知らぬご婦人より、声を掛けられました。

●ご婦人・・・「すみません。ビデオを撮ってらっしゃってたようですが、全部の演奏を撮られてたのですか?」
★ワタクシ・・・「いえ、娘達のデュオ演奏しか撮影しておりませんが。」

☆ワタクシの心の中・・・「ドモドモ、ワタクシ、まりゆりのパパでございます(^-^)v」

●ご婦人・・・「実は、〇〇さんが演奏した〇〇〇〇〇〇〇が素晴らしかったのものですから・・・」
★ワタクシ・・・「そうですね、すばらしかったですねぇ」
☆ワタクシの心の中・・・「えっ?(∵)ワタクシ、まりゆりのパパなんですが・・・〇〇さんの演奏も良かったですけど、まりゆりの演奏も良かったでしょ!いかがだったでしょうか?」

●ご婦人・・・「それでビデオを撮影されていたのなら、ダビングして頂きたいと思ったのですが・・・」
★ワタクシ・・・「あぁ〜そうですか・・・。それぞれご家族の方がビデオを撮っているはずですので、直接、〇〇さんにお聞きになられたら良いと思いますよ・・・」

☆ワタクシの心の中・・・「奥さ〜ん、それでですねぇ〜・・・まりゆりの演奏はいかがでしたか・・・フフフ・・・(*^^*)」

●ご婦人・・・「でも私、どの方がご家族か解りませんので・・・」
★ワタクシ・・・「はぁ〜そうですか・・・」

☆ワタクシの心の中・・・「だっから〜奥さんねぇ〜、ワタクシはまりゆりのパパなんですってば!まりゆりの演奏はいかがでしたか?って気になるワケでございますよo(><;)(;><)o。その前に一言、お世辞でもホメテ下さると、ワタクシ、とってもご機嫌になっちゃいますよ〜!\(^o^)/」

 その後、ワタクシが、〇〇さんご家族を探して、事情を説明して、そのご婦人をご紹介致しました。が・・・結局、最後までそのご婦人からは娘達のデュオの感想・コメントは聞かれませんでした・・・。ワタクシ、その場から離れて、振り返ると・・・〇〇さんとご婦人が笑顔で会話をされてました。

 それを見ながら・・・「奥さ〜ん!ですから〜!まりゆりの演奏はいかがだったんですか〜〜〜!(;>ω<)/」と心の中で叫ぶ、ちょっと悲しげなワタクシ目でございました。フフフ・・・(T◇T) mariyurinopapa

  2004年1月19日(月)
  組曲「惑星」より・・・どうなんでしょう?
 今日は、ひとりごとを書く予定では無かったのですが・・・家に無いと思ってたホルストの組曲「惑星」のCD・・・真由美先生が「惑星のCDあるよ」って、わざわざワタクシに渡してくれたので、全部聴かなきゃいけないハメになってしまいました(汗)・・・皆さんに昨日のひとりごとで「他の惑星の曲も聴いてみて下さい」と言った手前、引っ込みがつかないので、とりあえず、今これを書きながら聴いております・・・フフフ・・・全部聴くと長いな・・・。

 ところで曲順ですが、@火星:戦闘の神、A金星:平和の神、B水星:翼のある神、C木星:快楽の神、D土星:老年の神、E天王星:魔術の神、F海王星:神秘の神、となっております。詳しい事が解らないので、素朴な疑問なのですが・・・何故に1曲目が火星なのでしょうか?もっとも身近な星だからでしょうか?知っている方がいたら教えて下さい。科学の常識としては、太陽系は第1惑星の水星から順に水・金・地・火・木・土・天・海・冥(時折、冥・海)となっておりますよね。ホルストの惑星は、火・金・水・木・土・天・海の順なんですよね。細かい事で恐れ入りますが・・・ワタクシ、物事ちゃんと順番になってないとイヤなんですよ〜(笑)。

 それと惑星の中に冥王星が入ってませんよね(地球も入ってませんが)。ワタクシのお隣に置いてあります厚さ8cmの音楽辞典によりますと、この「惑星」作品32が作られたのが、1914−16年となっております。調べた所、冥王星は、1930年にアメリカの天文学者トンボーによって発見されたんですね。現在、冥王星の存在が当たり前ですが・・・ホルストがこの作品を作った時には無かったんですね。でもホルストが亡くなったのは1934年のようですから、亡くなる前に冥王星が発見されたという事ですよね。重ね重ねワタクシこの件に関しての詳しい事情を知りませんので、何ですが・・・冥王星が発見されたニュースを知ってホルストはどう思ったのでしょうか? 「オイオイ、ホントかよーーー!マイッタな〜〜〜(汗)・・・おかげで、ワシの作った組曲、惑星1個足りない事になったよ〜(;>ω<)/ひぃ〜」って思ったのでしょうか?この件に関して何かエピソードはあるのでしょうか?知ってる方いらっしゃたら教えて下さいませ。 mariyurinopapa

  2004年1月11日(日)
  除雪をしながら思ったこと・・・雪の使い道から
 札幌は大雪で大変だったみたいですね。除雪、お疲れ様です。岩見沢はここ2〜3日、まぁ大雪はありませんでしたが、昨日、雨降りましたね、晩に雪に変わりましたが・・・結局、今日も朝から除雪でした。

 ちなみに札幌では、この大雪が無かったら、雪祭りの雪像作りに影響が出たかもしれないとラジオで聞きました。勿論、雪が降らないとスキー場なんかも困るワケで、やっかいな雪ですが、雪を頼りにしている方々もたくさんいるワケですね。美唄では、雪冷房システム(正式な名称は知りませんが)が開発されて、地下だったかに雪を貯蓄して、夏に冷房として使う設備があったと思います。夏の農作物の管理とかにも有効なようですね。詳しい内容は知りませんが、雪をある意味、資源として活用しているという点では、素晴らしいアイデアだと思いますよ。それとこの雪のおかげで北海道は比較的、ダムとか水資源が潤ってるのも事実ですし。

 除雪しながらいつも思うのは・・・極端な話しですが、岩見沢の雪投げ場(幾春別川の河川敷)に運ばれた分だけでも、干ばつで苦しんでいる所(例えば、アフリカのエリトリアとかエチオピアとか)や砂漠等の乾燥地帯(例えば、中国のゴビ砂漠やオーストラリア内陸部とかで植林に役立てるとかね)に持って行けたらなぁ〜と思います。実際に輸送とか考えると無理ですがね。でも、要らなくて投げてる雪がたくさんあって、その反面、水が欲しくてもなかなか手に入らない地域・国があって・・・世の中、うまくいかないものだなぁ〜と思います。水が不足して、作物もなかなか育てられない、草が生えないから家畜もなかなか育てられない・・・そこで苦しんでいる子供たちがいると思うと、辛いものを感じますね。

 そう言えば、つい先日、新聞で読みましたが・・・中南米の高山地帯で、そこでは従来出来なかったトマトの栽培に成功したと。日本人の指導者が、現地の方々と一緒に取り組んだ成果のようですね。チリとかでも日本人の指導のもと、魚(何だったかは忘れましたが)の養殖をやって成功しているとかって前にテレビかなんかで見たことがありました。たしか中国のゴビ砂漠の植林でも日本人が活躍されてるようですね。東南アジアでの農業指導、どこだかの大規模望遠鏡のレンズ作製、その他たくさん・・・日本人の技術・能力って凄いなぁ〜と思います。ちなみにこれも何かの本で読んだのですが、日本人とアメリカ人の違い・・・例えば精巧なボルトを100個作る仕事があっととすると、アメリカ人は失敗作が数個でる可能性を考えて120個位だったかを作ってその内100個精巧に出来てたら良いという仕事をするが、日本人は100個なら100個全部精巧な物を作る仕事をする、そういう気質らしいです。まぁ、それが的を得てるかどうか解りませんが・・・。

 現在、中東の某国に日本の○○隊派遣の話題が取り上げられておりますが・・・(色々と意見があると思いますが、ここのホームページでは政治的な問題は取り上げない事にしておりますので、ワタクシがここでそれを云々致しませんが)・・・そういう形でなくても、貧困で苦しんでる国や戦後の荒れた土地開発・復興、生活環境や自然条件の悪い国や地域に、日本の優秀な農業技術者とか色々な分野の技術者や定年退職されたスペシャリストとかにもっとたくさん活躍してもらって「世界に貢献する」という日本ならではのスタイルでも良いのでは?とも思う今日この頃です。 mariyurinopapa

  2004年1月7日(水)
  除雪をしながら思ったこと・・・
 今日(一昨日から)、岩見沢市内、道路の排雪作業で結構、通れない箇所もあって、車が走りずらかったりしませんでしたか?それとシバレが厳しくなってくると道路もツルンツルンになってくるので、それまた走りずらかったりしてね。今日は、天気も良く、雪も降らなかったのですが、昨日おろしたカーポートの雪を家の裏まで、運びました。カーポートの上からおろした雪なので、1日おくと結構かたまってますね。スコップで崩しながらでした。雪が降らなくても毎日のように除雪です(T-T)。

 さて、先日のひとりごとにも書きましたが・・・我が家は、自動車4台分のスペースを殆どワタクシ一人でしかも人力(ママさんダンプ使用)で裏まで、運んでおります。かなりの重労働です。除雪機・融雪槽などの機械や設備も欲しいのですが・・・元気なウチは、体力勝負で頑張ります。 

 それで、ですね・・・家の裏まで、雪を運んで、少しづつ小さな雪山になって行くでしょ、段々その山が長く高くなって行くとね、思い出すんですよ・・・。娘達が幼い頃(2〜3歳の頃だったでしょうか)は、その小さな雪山で、ミニボブスレー(名前なんて言うのか良く解りません、ホームセンターでスノーボートという名前で販売されてましたが)で滑ったり、スキーウェアのままお尻で滑って、雪ん子になったりしてました。その頃、その少しづつ大きくなって先の方までママさんダンプを押すのが大変になっても、「この雪山が大きくなると、まりちゃんが、ゆりちゃんが、喜んでくれる。まりちゃんと、ゆりちゃんと、遊べる。だから頑張るぞー!」って思いながら、一生懸命、除雪しながら雪を裏まで運んでいた事がありました。でも、子供達もちゃんとスキーで滑るようになったら、当たり前の事ですが、さすがにその小さな雪山で雪ん子になる事もなくなってしまいました。ピアノに忙しくなると、スキーすらなかなか行く事が少なくなりましたが・・・。勿論、小学校高学年や中学生になって、そんな家の裏の雪山で遊んでるようであっても困る(恥ずかしい)ワケですがね(笑)。ですからここ数年、その雪山はただ「除雪の重労働の産物」の何物でも無いワケです。

 除雪をしながら雪を裏に運んでいると、「あ〜!しんどい!」と思いながらも、あの頃を思い出しちゃったりするんですよねぇ・・・娘達は、そんなささいな出来事なんか気にしないで、育っていくのでしょうが・・・。  mariyurinopapa

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